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2011年7月

2011年7月29日 (金)

土足禁止。





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近くの公園の遊具。


なぜ土足禁止なのだろう、
屋外にある遊具なのに。


と、野良猫とともに10分くらい悩む。


この小さな公園に子供がいるところを見たことがない。


子供だったらルールだらけの公園なんかで遊びたくない。




この近くのもっと大きな公園では


けっこうなスペースがあるにも関わらず


野球とサッカーが禁止。


最近の子供はいったいどこで遊んでいるのだろうな。


道ばたで遊んでいるところもそういえば見かけない。




僕が小学校低学年生のときに住んでいた
世田谷区の豪徳寺にも
やはり大きな公園はなかった。


まだ自転車も持っていなかったころ。


子供の僕らは
住宅街のなかにある
車もすれ違えないような細い道路でよく遊んでいた。


いちばんよく覚えているのは
ゴムのカラーボールを使って
近所の仲間とする手打ち野球。


住宅街の道ばたでの手打ち野球ルールはかなり変則的で、
人の家の壁を越えると
それはホームランになった。


体の小さかった僕は、
ついにいちどもホームランを打てなかった気がする。


ともだちが長打を打つと


そのカラーボールは虹みたいな弧を描き


高い壁を越えて


見知らぬ近隣住宅の庭へと飛び込んだ。




「ホームラン!」




まるで「夏休み!」みたいな響きだった。


いつも


気持ちよさと、うらやましさとが混じった気持ちで、


そのカラーボールを見あげていた気がする。




そして
ボールを取りに行くのは打った子供ではなくて、
かならず守備をしている子供。




だから僕はいつも決死の思いで
高いレンガの塀を登って、
人の家の庭に忍び込みボールをとりに行っていた。


知らない人の家に忍び込むのは
すごく怖かったし、
実際に
なんどか家の人に見つかって怒られた。


当然のように、
その家に住むお婆さんは、
とてつもなくおっかない人だった。
(僕らは密かに、単純に、「敵ババア」と呼んでいた)




「ここで遊ぶなって言ってるでしょうがっ!!」




敵ババアが叫ぶ。
子供たちはその怒声に震え上がって、いっせいに逃げ出していく……。




そんなことを思い出した、夏の昼下がり。


(そして当時ご迷惑をかけたみなさま、すみませんでした)




でも、きっと


あの高い塀を登った瞬間が、好きだった。


ホームランを打ったことのない、


いつもボールを取りに行く子供だけが、みれる景色。


負け惜しみだろうか。


きっと、それでも。




さて。


明日、30日土曜日の23時からは
「第1回キタコレ世音堂」の放送です。


放送映像をちょっと見たけれど、
すごく綺麗に撮れていました。
すでに見た方も、未見の方も、お楽しみに。
僕はTwitterしながら見るつもりです。




2011年7月22日 (金)

キタコレ世音堂、再放送決定。





zenondo issui




小説家による写真大喜利「世音堂(ぜのんどう)」。


先月行われた
世音堂による小説朗読ライブ「キタコレ世音堂」が
来週、再放送されることになりました。




放送日は7月30日土曜日


23:00から


Ustream世音堂チャンネルにて


詳細は世音堂HPからご覧ください。




先月生放送された映像の再編集版とのことなので、
来場された方、
生放送をご覧になった方、
そしてまだキタコレ世音堂を見たことがないかたも是非。


僕も当日はPCの前で見ようと思っています。


ちなみに朗読の順番は、


【1番手】狗飼恭子さんの作品を朗読する宮本一粋さん。


【2番手】藤谷文子さんの作品を朗読する木下ほうかさん。


【3番手】柴崎の作品を朗読する篠原ともえさん。


それぞれ15分程で、
みなさん三者三様、魅力的な朗読です。




世音堂のルールとお題写真を知っているとより楽しめると思うので、
放送をご覧になる前にぜひHPにて確認してみてください。


30日土曜日23時、みなさんお楽しみに!



2011年7月17日 (日)

みたま祭り。





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もうあっという間にみたま祭りの季節。


暑すぎて着物は断念。(と言って去年も洋服)


昨日は最終日だったせいか
大村益次郎像に辿り着くまで30分もかかるほどの大混雑。
ビールをのみながら、ふらふらと。


たこ焼き、焼きそば、かき氷。


鮎焼き、烏賊焼き、あんず飴。


肩車された子供。


ソースの匂い。


見世物小屋からの悲鳴。




はぐれないように
手をつないだ方がいいかもしれない




とお互いに思っているけど
まだ上手に手を繋げていない男の子と女の子たち。




夏祭り。




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毎年楽しみにしてる懸雪洞のツバキアンナの絵。


どこだどこだと探していたら、
アンナ姐さん本人を発見。




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姐さんの絵、いつもどおりロック。かっこいい。


「欲しい……」


と思わず口に出したら


「アホ。これは英霊に捧げたもんだ」


とぴしゃり。


その通りです。






帰りにふらりと銭湯に寄って、

これ以上冷やすと凍ってしまいそうな

冷たいコーヒー牛乳を飲んだ。




月が、満ちてた。



2011年7月14日 (木)

夏の庇護者。





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ただ、暑さに耐えきれなかった。




狂いそうなほどアイスクリームが舐めたくなって


たまらず地元の31に行ったら、そこには


狂いそうなほどアイスクリームを舐めたがっている人たちが


店の外まではみ出すほどの行列をなしてた。




あきらめてスターバックスへ行った。




なんとかフラペチーノ
(いちばん甘くないやつくださいと言ったら出てきたモノ)


を飲みながら、それでも


歩いて行ける場所に31があるのって幸せだな、とか思った。




お守り、みたいな感じ。




この夏は31の庇護のもとに。



2011年7月 9日 (土)

高橋優 全国ツアー「笑う門にも福来たる2011」





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高橋優、初の全国ツアー「笑う門にも福来たる2011」。


東京の追加公演@リキッドルーム。


はじめて見た高橋優のライブ。


曲はどれも表情が違っていて
すごく怒っていたし、怯えていたし、優しかった。


アンコールを求める拍手のあいだ、
いつのまにかファンたちによる彼の曲の合唱が生まれた。


再びステージに戻ってきた
彼自身も
夢に見ていた光景だと、言っていた。



2011年7月 8日 (金)

世界が変わるとき。





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Just when the caterpillar thought the world was over, it became a butterfly.


(「あぁ、世界が終わる」そう思った瞬間に、イモムシは蝶になる)


この言葉が好きだ。
最近ユニクロのTシャツにもあったな。




松本復興相の恫喝→辞任にいたる一連の報道を見てた。
TBCという聞いたこともない放送局の姿が、ただ
美しかった。
そのとき、この言葉を思い出した。

あのとき松本復興相は


「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか?
 皆さん。絶対書いたらその社は終わりだから」


と報道陣の前で言った。


その言葉ごと
当日に報道を行ったのは
地元メディア・宮城のTBC東北放送だけだった。


大手新聞やテレビ報道局は
松本復興相の言うとおり報道を自粛した。
しかし翌日、彼らは一転、TBCに追随し、
しかも自分たちが圧力に屈した部分だけを避けて
「知恵を出さないやつは助けない」という部分だけで松本復興相の首を締め上げた。


なぜ、「オフレコ」だとか「その社は終わり」とか松本復興相は言えたのだろう。


そしてなぜ、
大手メディアのジャーナリストたちは彼のいうの通り動いたのだろう。


おそらく、彼らはまだ、
世界には「密室」が存在してると、思ってる。


でも、幸か不幸か、
いま僕らが生きているのは高度ウェブ社会であって、
その社会活動の中に
「密室」
なんて、もはや、存在しない。


もちろん僕らの社会生活でさえも。


あのsonyのセキュリティーだって破られてしまった。


個人の情報から、国家規模の機密まで、
社会活動におけるありとあらゆる情報を、
完璧に秘匿できるような密室は僕らの時代にはもうない。


あるのはリスクの大小だけ。
求められているのは
それぞれの個人がどれくらいのリスクを受け入れるかという判断に過ぎない。


(僕はそれでも再開したソニーのネットワークに接続し、
 トルネの便利な機能の恩恵を享受することを選ぶ。
 僕はsonyのネットワークサービスを利用するリスクを、抱えられる)


でも、松本復興相も、
当日報道を自粛した大手新聞やテレビ報道局も、
結局
まだ「密室」が存在した古き良き時代感覚のまま仕事をしているのだ。


ほんとはそんなもの、もうないのに。


そこに服があると信じ込んで、すっ裸で往来を渡ってるのと一緒だ。
子供が指をさす。


「なんで王様は裸なの?」


結局、あの物語の王様は、最後にはどうなったのだったっけ?




そんななか、TBC一社だけが、
即日、
問題の場面を報道した。


TBCが報道しなかったら、この一件は
ここまでスピーディーに、ドラスティックに
現実世界に影響を与えなかったのは間違いない。


僕は、あの日のTBCの社内の一日を知りたい。
そこには必ず物語があったはずだ。


「書いたら、その社は終わりだから」


有力政治家によるその一言はTBCに重くのしかかったと思う。
でも、彼らは事実を、事実として、報道すべきだと思った。


実際に単騎でその(空想上の)密室から飛び出すには、
世界の終わりを覚悟するような、
比類なく、絶望的な
苦しい判断をしいられたに違いない。


なんせ、「終わり」なのだから。


事実、自分たちよりも体の大きなメディアたちが
ビビって立ちすくんでいる状況なのだ。


当然、TBC社内にも反対した人間もいただろう。


でも、
それでも(地元メディアとしても)
この報道をしたいという熱意がそれに打ち勝ったのではないだろうか。


結果として、それは民意に支持され、
現実に
世界を変えることになった。
松本復興相は、数十時間後に辞意を表明した。


あのyoutubeを再生した、僕らのクリックそのものは、
世界を変えた民意の一票に他ならない。


TBCのスタッフは思ったのではないだろうか?


「はたして、密室は、なかった」


「世界は、終わらなかった」


その一件によって、
彼らの報道観はどう変ったのか(変わったと思いたい)を、僕は知りたい。


そこには報道観のパラダイムシフトと呼べるような変化が
あったのではないだろうか。


世界が終わる、そう思った瞬間に、イモムシが蝶に変わるような。


言いすぎかな。
どうだろう?


でも僕はその日のTBCの報道局の動きを聞いてみたい。
彼らの報道が、
事実、世界変えたのだから。



2011年7月 2日 (土)

長崎と、傘。





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はじめての長崎。


丸一日、街を歩いた。


途中、突然の豪雨に見舞われた。


その日は早朝から快晴で、
天気予報も確認せずに傘を持たずに外に出てた。


はじめの一滴が空から落ちてきたのは孔子廟を訪れていたとき。
午後二時を過ぎた頃だった。
やがてしとしとと雨は降り出した。


さっきまで雲もなく晴れていたんだ
どうせ直ぐにやむだろう、と思って
庇のしたのベンチに座った。

屋根をぼんやり眺めると、
屋根飾りの龍が、雨の空を泳いでいるように見えた。


しかし待てど暮らせど
雨脚はいっこうに弱まらなかった。
それどころか
気がつけば雨粒が地面から跳ね上がるような、
強烈な夏の雨になっていた。

空は暗くなり、海のほうから雷の鳴る音が聞こえた。


庇のしたにも雨水が流れてきていた。
カメラのレンズが曇りそうなほど蒸していた。
空は暗く、周囲は雨のにおいで満ちていた。
隣あるセブンティーンアイスの自動販売機が、
面倒そうにぶうんと唸った。




「もしよかったら」


と水色の傘が目の前に差し出されたのは、
10分もそうして座っていた頃。


見ず知らずの女性が、


「傘、持ってなさそうだから」


と片手にしていた彼女の傘を持ち上げた。


40歳前後の、髪の長い女性で、
彼女は自分のピンク色の傘をさしていた。
座っている僕に、
もういちどぐっとその水色の傘を差しだした。


見知らぬ人から傘などもらった経験もないから、
受け取っていいものかどうか迷っていると、
彼女は壁に傘を立てかけ、歩いて行ってしまった。




自動販売機がまた、ぶうんと鳴った。


小さくなっていくピンク色の傘が、くるくると回っていた。




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