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2014年4月

2014年4月 8日 (火)

解説を書きました。梅田みか著「年下恋愛」

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梅田みかさんの「年下恋愛」の解説を書かせて頂きました。

先方の了解を得て全文掲載。本編はもちろん書店で。


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「年下恋愛」 梅田みか
 
解説  柴崎竜人(小説家・脚本家)
 
 
 僕の悩みは、性格が悪いことだ。
 
 たとえば、その悩みを一発で解決できるような魔法の薬があって、
 
「もしこの薬を飲んだら、性格が良くなるよ」
 
 とやさしい女性が用意してくれたとしても、きっと僕は、
 
「貴重なんだから、まず君が飲んだ方がいいって」
 
 と突き返してしまうくらいの重症っぷり。ひどい。性格が悪い。そして、もし彼女がその一錠を飲み込み、「ほら、怖くない」とナウシカ級の優しさで接してくれたとしても、
 
「ほんとうにそれで性格が良くなるの?」
 
「なるわ。げんに私が飲んだじゃない。あなたのためを思ってるの」
 
「でも性格の良いひとは、人を変えようなんてしないよ」
 
 と寂しそうに微笑んで、自分の言葉の効果を確かめるような人間だ。
 あぁ、自分で書いていてほんとうに落ち込んでくるくらい、性格が悪い。
 
 そんな僕なのだけれど、数年前の一時期、やたらと女友達の女子会に呼ばれることがあった。その頃は僕が恋愛小説を何本か書いていたこともあって、柴崎なら男の意見を聞くのにちょうどいいと呼び出されていたのだった。もはや男の僕が参加している時点でその会は「女子会」ではないのだけれど、彼女たちはそこに男などいない、いや我々の前に震えながら座るお前など男ではない! ひれ伏せ、凱歌をあげろ! という迫力で自分たちの恋愛話を大展開した。
 
 もちろん僕は男を代表して総反撃だ(一人で)。
 
 ほとんどの場合、彼女たちの話は矛盾ばかりだし、そのくせ自分の考えが絶対的に正しいことが前提だった。うんざりする。しかも男の意見が欲しいと口では言いながら、僕の意見は特殊事例だとかたづけられて「私の恋愛には当てはまらない」と一蹴した。僕は心をつよく持ち、彼女たちの恋愛相手を想像しながら、男の代表者として果敢に反論を繰り返した。だが多くの場合マイノリティの意見は黙殺され、あるいは納得させる寸前でまさかの話題替えという残酷な公開処刑にあって、背中を丸めて女子会を後にすることになった。もはや僕の性格の悪さなど、彼女たちの迫力の前にはほとんど意味をなさないような、ちんけな自意識なのだと思い知らされた。
 
 この小説は、その頃の悪夢を思い出させる。
 
 もちろん、それは僕にとって最上級の褒め言葉だ。 
 
 
 本作著者の梅田みかは大学卒業後、書籍編集、ラジオ番組の構成作家などを経て執筆活動に入り、その後のドラマ脚本や小説、エッセイでの活躍は読者の皆さんもご存知の通りだ。
 
 実は僕と著者の共通点は多く、小学校から大学まで同じ学校に通っており、そのうえ小説家・脚本家の両方を生業にしているという、同じ立場の人を探し出すことがほとんど不可能と思えるほど縁の深い人だ。いわば梅田みかは僕の大先輩であり、本来は呼び捨てにすることなど許されず、いまもシャワーを浴びて近隣の神社に参拝し身を清めた後に、仕事場にて背筋を正しながら本稿を書いているくらいだ(一部誇張あり)。そのようなわけで、まだお目にかかったことがないながら一方的に親近感を覚えてしまっているが故に、あえて性格悪く本作に目を通すことになったわけなのだけれど、それでもなお、この小説における激しいセリフの応酬の巧みさに舌を巻いてしまった。唖然とした。それはもう、僕が女子会の悪夢を思い出すほどまでに、リアルだった。
 
 本作「年下恋愛」が上辞されたのは2007年。
 
 現在(2014年)から振り返れば、ついこの間のようではある。
 
 でもその年にアメリカでようやくiPhoneが発売され、翌年になってから日本に上陸することになる。つまり2007年は「日本国民全員がガラケー」だった最期の時代ってことだ。それはLINEがもたらしたスタンプや既読無視などという概念もなく、facebook経由で元恋人や学生時代の友人を不意に発見することもなかった時代。いわば僕らのコミュニケーション感覚と方法が変わりはじめる前の、最後の一年といえるだろう。
 
 またリーマンショック以前であることも忘れてはならない。世界的な恐慌の足音が僕らの耳元で聞こえ、ワーキングプアという言葉がより現実的に、身近になったのは2008年以降だ。
 
 当然、その年はまだ東日本大震災も経験していない。「いつ、なにが起こるかわからない」という世界の事実を、僕らがまだ実感として手にしたことがなかった日々でもある。
 
 2007年はたった七年前。
 
 でも、二度と戻ることができない「前の時代」なのだ。
 
 この物語はその時代で進行している。
  
 もちろん僕らはもう2007年のルールでは恋愛をできない。だからこそこれほどの熱量で当時の恋愛を生きている麻子、実七子、美帆たち登場人物に触れることで、僕らがその時代からどれほど変わったのか、あるいは成長できたのかを知ることができる。
 
 また別の見方をすれば、本作は読んでいる人の年齢と環境によって大きくとらえ方が異なる小説といえると思う。「わかる、わかるっ!」と興奮とともに共感を受ける読者もいれば、「私とはまったく違う!」と嫌悪感を抱く読者もいるだろう。それくらい幅の広い感情を呼び起こせるのも、ひとえに本作の登場人物たちが真剣に恋愛に取り組み、もがき、2007年という象徴的な時代を背負って懸命に生きているからに他ならない。恋愛小説の醍醐味は、その時代の恋人たちが抱き合っている温度をいかに体感できるかであり、梅田みかはその技術に長けた作家であることを、この小説は示していると思う。
 
  
 本作の登場人物たちが身につけているファッションや食生活、ひいては価値観を、現代のルールにそのまま当てはめることはできない。それほどまでに僕らの環境はこの七年で変わってしまった。
 
 でも、もちろん変わらないものだってある。
 
 僕らはこの小説を閉じた後でも、また恋愛をする。
 
 それは恋愛に対する憧れや渇望、期待と苦しみが、当時を生きる彼女たちも、現代を生きる僕らも同じだからだ。
 
 いま、この瞬間でも、日本のどこかで女子会は開かれている。
 
 そこに四十代となった麻子たちの姿があるかもしれない。彼女たちの目に、いま僕らが生きている時代はどう映っていて、僕ら男たちをどう見ているのだろう。いずれにせよそこでも彼女たちは、彼女たちなりの新しい恋愛をしている気がする。そして、その場ではきっと新しい凱歌が聞こえているはずだ。
 
 その凱歌を想像して、やっぱり、僕の背筋は震えるのだ。